明らかにされたクリヤヨガ

伝統的なヨーガの情報とクリヤヨガの技法をお伝えします

伝統的なヨーガの教えとクリヤヨガ の技法をお伝えします

著者の電子書籍のご案内です💛

マリア・ステファノの著作です。

是非読んでみてください💚

unlimittedはプライム会員の方は無料でお読みになれます。

よろしくお願いします。☺️

9/25に発売されました

        よろしくお願いいたします。♡

 

 

 VO.2の上巻と下巻です

他にも多数 好評発売中です❤️

 

 

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 5

さて、イエスがベタニヤでらい病人シモンの家におられた時、

ひとりの女が、

高価な香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、

エスに近寄り、

食事の席に着いておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、

『何のためにこんな無駄使いをするのか。

それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに

エスはそれを聞いて彼らに言われた

『なぜ、女を困らせるのか。

私によい事をしてくれたのだ。

貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいるが、

私はいつも一緒にいるわけではない。

この女が私のからだに香油を注いだのは、

私の葬りの用意をするためである。

よく聞きなさい。

全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、

この女のした事も記念として語られるであろう』

マタイ26章6~13節

 

f:id:erohimaya:20181113214839j:plain

 

霊と対峙する物

さて、

最初の弟子たちが主イエスのもとに集い従っていました。

パリサイ人たちは、ある日、

エスの弟子たちが安息日に、

麦の穂を摘んで食べているのを発見しました。

これを主に告げに行くと、主はこう言われました。

安息日は人のために定められたのであり、

人が安息日のためにあるのではない。

だから人の子は安息日の主でもある」

これは(イエスのとがの)別の機会を待っていた、

パリサイ人たちを大いに不快にした。

エス安息日シナゴーグ(会堂)で教えている時に、

パリサイ人たちは安息日に彼を癒すかどうかを試すために、

病気の男を連れて行きました。

エスは彼らに目を向けて、

安息日に正しいのは善行か、それとも悪か?」と尋ねました。

彼らは答えられませんでした。

するとイエスは病人のところに行き、彼を癒したのです。

これが決定的にパリサイ派の人々との対立につながりました。

f:id:erohimaya:20181113214553j:plain

 

エス過越の祭りに参加するためにエルサレムに行き、

その夜パリサイ派の一人であるニコデモに会いました。

ニコデモは、

エスが神のもとから来た教師であることを認めていましたが、

「あなたの全ての教えを認めて理解することができません」

と語りました。

すると主は、

深く霊的な、示唆的な言い回しでこう答えました。

 

「人は再び生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

肉によるものではなく霊的に生まれ変わらなければなりません。

主イエス

心の真の変化が再生を成し遂げることを示したのです。

 

f:id:erohimaya:20181113220427j:plain

 

エルサレムからガリラヤへ帰る途中、

エスはサマリヤの町を通りました。

サマリヤのシカルで、彼は井戸の近くで休息を取り、

弟子たちは食べ物を買うために町に入っていきました。

そこへサマリア人の女が水を取るために井戸に来たのです。

主は彼女に、

水を飲みたいので水を分けて欲しいとお願いしました。

当時は、

ユダヤ人はサマリア人とは関わりを持ちませんでしたので、

女は躊躇しました。

すると主は彼女の過去の人生について語りました。

すぐに彼女は主イエス預言者であることを理解しました。

主もご自身がメシアであることを認めました。

驚いた女は町の人々全員にこの事柄を広めたため、

人々は彼のもとに集まり、

「この方こそ世を救うまことのキリストである」

と宣言したのです。

(訳注 ヨハネによる福音書4章1~26節)

f:id:erohimaya:20181113214116j:plain

 

主イエスがカナに帰ると、ある高貴な人が近づいてきて、

カペナウムで彼の子供が瀕死な状態であると述べ、

癒しの恵みを主に祈り求めました。

主は答えました。

「帰りなさい。あなたの息子は助かる」

主がこの言葉を発した瞬間、息子は健康を取り戻した。

高貴な人がカペナウムに帰るやいなや、

彼のしもべたちは幸せな知らせで迎えたのです。

 

 

 

f:id:erohimaya:20181113214410j:plain

イエスの生涯と教え  新連載 4 神の国は近づいた

 

 

 

 

f:id:erohimaya:20181112220751j:plain

主の生涯におけるこの偉大なる出来事は、

3つの啓発する最高の教えを与えるだけではなく、

主ご自身の模範によって、

霊的な力が、道の障害となり得るのだと、

真の求道者は捉えるべきだと警告し、

仮に霊的力が、お恵みにより彼のもとにやってきたとしても、

彼は自分の利己的な目的のために、

利用しようなどと夢にも考えるべきではありません。

 

命が危険にさらされていた時でさえ、

主イエスキリストは磔刑を妨げるために、

奇跡的な力を使おうとはしませんでした。

 

 

主が旅の途中に行おこなったあらゆる奇跡は、

すべての存在に対する愛と慈悲にあふれた、

無上の憐れみによって、

心の底から駆り立てられておこなったものです。

主は病人を癒し、死者を蘇らせることさえしました。

しかし、彼が本当にしたのは、

癒した人から悪魔を追い出すことでした。

彼らの過去の邪悪な行為と隠れた邪悪な傾向は、

身体的、精神的な病気の形を取っていました。

エスは失われた魂を取り戻し、

彼らに本来の純粋さを回復させました:

主の慈悲と許しによって人々は主のものとなったのです。

彼の存在の輝きは、

人々に神への大きな信仰を持たせただけではなく、

主イエスに従い、

彼の教えのとおりに新しい神聖な人生に導かれたいという、

まことの熱情を持たせたのです。

この信仰と真の悔い改めは、

ただちに完全な自己変容へと身を結びましたが、それは

イエス・キリストの哀れみに満ちた癒しの恩寵なのです。

 

 

エスの奇跡の霊的な側面

エスは孤独と厳粛な生活を終えると、

彼を慕う人々に知恵を授けたいと願い故郷の村に戻りました。

洗礼者ヨハネは、

神の国が近づいたのだから、神の国に入れるように、

心を入れ替えて、罪を深く悔いることを呼びかけていました。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

(マルコ福音書一・14~15)

エスもまた、

このメッセージを繰り返し述べ始めました。

ヨハネは神を厳しい裁くものとして描いていましたが、

それとは違って、主イエスは、

罪人を愛し救う、慈しみ深い全能の父として説きました。

主イエスにとっては、神への信仰とは、

宗教的儀式や儀礼よりも、祈りにおける熱心さ、倫理的規律が、

はるかに重きをおくものだったのです。

このような考えこそ、圧迫され抑圧されていた人々や、

教会によって破門された人々に友として迎えられた理由です。

 

 

エスは彼らすべてを歓迎し、

彼らの罪を赦し、彼らを祝福しました。

「重荷を背負い苦労している人は皆私のもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう」と主は言いました。

 

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、

わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、

あなたがたもわたしのくびきを負って、

わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

(マタイ11:28〜30)

そして、何千人もの人々が、

主を探し求めて、平和と慰めを彼の足元に見つけました。

主によって選ばれた12人の弟子のうちの1人は、

正統派のユダヤ教徒によって排斥され、

軽蔑されていた、収税吏でした。

そして、信者の中で最も偉大で、かつイエスの側近だったのは、

罪深き女と言われ、イエスによって七つの悪魔を追い出された、

マグダラ・マリアでした。

 

 

ある日のこと、

イエス・キリストが通り過ぎようとしていたところ、

姦通の罪で告発され、「石打ちの死の刑」を宣告された、

女性の周りに群衆が集まっていました。

今まさに群衆がこの刑を執行しようとしていたとき、

主イエスが現場にやって来たのです。

エスの持つ磁気的な神聖な人格を本能的に感じ、

エスの命令に従い、人々は残酷な行いを思いとどまりました

女のおかした"許されざる"罪の話を聞いたあと、

主は静かに言いました

「あなたの中で罪をおかしたことのない者が、

彼女に向けて最初に石を投げつけよ」と。

主によって発せられたこの強烈な言葉によって、

人々はお互いを見つめ、自分自身への内省を促されました。

一体、罪のない人がいるのでしょうか?

内省によって人々は自身の欠点をあらわにされました。

ひとりひとり、人々はこうべを下げて場所を去っていきました。

 

 

イエス・キリストは、

「彼らはどこにいるのか?」と女に尋ねました。

「どこにもいません。主よ」彼女は答えました。

「あなたに刑を下すものはいなかったのか?

「いませんでした、私の主よ」と彼女は言いました。

すると、主は、

「わたしもそなたを罰しない。さあ汝の道を行くがよい。

もう罪をおかしてはならない」と言ったのです。

この美しい出来事が、

主の聖なるメッセージの本質を要約しています。

 

また別の時に、

信者が、イエス・キリストの足を涙で濡らし、

髪で拭きながら貴重な香油を塗ると、主は彼女を祝福し、

彼女のすべての罪を許しました。

このことが、

罪の許しを与える彼の権利に、

疑問を抱いた人々を怒らせたのです。

 

 

f:id:erohimaya:20181112220519j:plain

さて、イエスがベタニヤでらい病人シモンの家におられた時、

ひとりの女が、

高価な香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、

エスに近寄り、

食事の席に着いておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、

『何のためにこんな無駄使いをするのか。

それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに

エスはそれを聞いて彼らに言われた

『なぜ、女を困らせるのか。

私によい事をしてくれたのだ。

貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいるが、

私はいつも一緒にいるわけではない。

この女が私のからだに香油を注いだのは、

私の葬りの用意をするためである。

よく聞きなさい。

全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、

この女のした事も記念として語られるであろう』

マタイ26章6~13節

 

主の平安が皆様と共に

 

Om Shantih

 

 

イエスの生涯と教え  新連載 3 イエスの誘惑

f:id:erohimaya:20181111204502j:plain

誘惑と勝利

洗礼の後、主イエスは荒野にとどまり、

極端な禁欲と断食をおこないました。

 

そのような断食の40日間の終わりに、

彼は空腹で苦しみました。

そのような厳格な瞑想は、疑いようもなく、

彼が行う偉大な奇跡のための神聖な力を授けました。

 

そのため主は人々を救い、癒すための奇跡がおこなえたのです。

「今その力を使い、石をパンに変え飢えを満してはどうか」

悪魔の一人サタンは誘惑しました。

 

しかし、主イエスは、

「人はパンによってだけではなく、

いける神の一つ一つの言葉によって生きる」

と断言しこの誘惑を断固として拒否しました。

f:id:erohimaya:20181111205009j:plain

 

 

そして再び、奇跡的な力への誘惑の試験がきました。

「もしあなたが神の御子なら

寺院の高い塔から身を投げてみてごらんなさい

天使たちがあなたを支えるでしょうから」

と悪魔の一人サタンの囁きを聞いた。

しかし、再びイエス・キリストは、

「汝の神である主を試みてはならない」

と言って、誘惑に取りあわなかった。

三度目には悪魔が彼を高山の頂に連れて行き、

世界を見せてこう言った。

「もしあなたがひざまずいて、わたしを崇拝するならば、

これらのすべてをあなたに差し上げましょう」

さて、主イエスは同意したのでしょうか?

いいえ、彼は即座に誘惑をしりぞけて叱責しました。

「サタンよ退け。

主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ。

と聖書に書いてある」と。

悪魔は姿を消し、天使たちがやってきて主に仕えました。

 

OM

 

Shantjh

イエスの生涯と教え スワミ ・シヴァーナンダ 新連載 2

f:id:erohimaya:20181109163144j:plain

 

 

子供の歌

 

 

ふたつの小さな目は神様を見るためのもの

ふたつの小さな耳は神様の言葉を聴くためよ

ふたつの小さなアンヨは神様の小道を歩くため

ふたつの小さな唇は神様を讃えるためよ

ふたつの小さな手は神様の願いを行うため

小さな一つのハートはもっと神様を愛するためなの

 

 

賛美歌

1.導き給え優しき光よ 讃美歌288番

1たえなるみちしるべの ひかりよ、

家路もさだかならぬ やみ夜に、

さびしくさすらう身を

みちびきゆかせたまえ。

2ゆくすえとおく見るを ねがわじ、

主よ、わがよわき足を まもりて、

ひとあし、またひとあし、

みちをばしめしたまえ。

3あだなる世のさかえを よろこび、

ほこりておのがみちを あゆみつ、

むなしく過ぎにし日を

わが主よ、忘れたまえ。

4しるべとなりたまいし ひかりよ、

今よりなおも野路に 山路に、

闇夜のあけゆくまで、

みちびきゆかせたまえ。

5とこ世のあさにさむる そのとき、

しばしの別れをだに なげきし

あいするもののえがお

みくににわれをむかえん。

 

 

  1. 讃美歌21 512番 主よ、献げます

1主よ、献げます 私のいのち、

あなたのために 用いてください。

今この時も これからのちも

み名をたたえて 日々過ごします。

 

2主よ、献げます 私の手足、

みわざのために 用いてください。

差しのべる手を 愛の手として、

平和伝える 主の手足として。

 

3主よ、献げます 私の声を。

あなたのみ名を ほめ歌います。

この唇を よいおとずれで

あふれるばかり 満たしてください。

 

4主よ、献げます 私の愛を、

知恵も力も 宝もすべて。

私のうちに あなたが住んで

みむねのままに 用いてください。

 

 

3.讃美歌21 297番 栄えの主イエス

1栄えの主イェスの 十字架をあおげば、

世の富、ほまれは 塵にぞひとしき。

 

2十字架のほかには 誇るものはあらず

この世のものみな 消えなば消え去れ。

 

3見よ、主のみかしら、み手とみ足より、

恵みと悲しみこも ごもながるる。

 

4恵みと悲しみ ひとつにとけあい、

いばらはまばゆき 冠とかがやく。

 

5ああ、主の恵みに 応うる道なし、

わが身のすべてを、主の前に献ぐ。

 

 

4.讃美歌260番 ちとせの岩よ

千歳(ちとせ)の岩よ  我が身を囲め

裂(さ)かれし脇の  血潮と水に

罪も汚れも 洗い清めよ

 

か弱き我は 律法(おきて)にたえず

燃ゆる心も たぎつ涙も

罪を贖(あがな)う  力はあらず

 

十字架の外(ほか)に  頼む蔭(かげ)なき

わびしき我を 憐れみ給え

御救(みすく)いなくば  生くる術(すべ)なし

 

世にある中(うち)も  世を去る時も

知らぬ陰府(よみ)にも  審(さば)きの日にも

千歳の岩よ 我が身を囲め

 

 

5.讃美歌21 434番 主よ、みもとに

1主よ、みもとに近づかん。

十字架の道 行くとも、

わが歌こそ、わが歌こそ、

主よ、みもとに近づかん。

 

2さすらう間に 日は暮れ

石にまくら するとも、

夢にもなお、夢にもなお、

主よ、みもとに近づかん。

 

3天よりとどく かけはし、

われをまねく みつかい。

恵みうけて、恵みうけて、

主よ、みもとに近づかん。

 

4目覚めてのち、ベテルの

石を立てて 捧ぐる

祈りこそは、祈りこそは、

主よ、みもとに近づかん。

 

5天翔けゆく つばさを

与えらるる その時

われら歌わん、われら歌わん、

主よ、みもとに近づかん。

 

 

6.霧が去ったとき

輝きのなか霧が去ったとき、美しい丘が現れ

河と小屋に、喜びの陽の光が降りそそぐ。

虹が空に現れ、父なる神の約束を思いだす。

霧が巻き上がるように晴れて、

私たちはよりいっそう愛し合う。

 

 

コーラス

私たちはありのままの自分を悟る

もはや一人で歩くことはない

夜が明けて、幸せで光に満ちた日々を生きる

霧が去ったのだから。

たびたび私たちは重荷を背負い、

疲れ切った心のうちに、道を踏みしめる

この遠く離れた地で、日陰のなかで苦悩する日もある。

けれど、

霧が巻き上げられ去りゆく朝

私たちは集められ

救い主の「来たれ、なんじ祝福されたものよ」の約束に、

私たちのすべての労苦は報われる。

私たちは主の玉座のまわりに集い

喜びに満たされるでしょう。

愛する主のうちに互いに見つめ合います。

私たちはありのままの自分を悟るのです。

救いの歌を唄い、永遠の日々にのうちに歌は響きます。

霧はさってしまい、

もはや影は過去のものとなったからです。

 

 

第一章

主イエスの生涯

主の誕生のメッセージ

2000年前に、崇高なる光が、

この闇と悲しみの死の世界に天くだりました。

いつの時代も、どの地であっても、

主の支配する法はいつでもどこでも同じです。

不義が栄え正義が衰え、

神の言葉や使徒の戒めが忘れ去られ、

拒否される時に、

神の力よりも強い力が凌駕するようになり、

宗教的な狂信が聖書の教えを装い、霊を葬りさろうとする時に、

正義を救い、人々を救うために、

主ご自身が地上にお生まれになるのです。

それが、主イエスの誕生とスリ・クリシュナの、

アヴァターラの間に共通して見られる生誕の理由です。

 

出生時でさえ、沈黙のうちに主はメッセージを伝え始めました。

彼は地上の家に宮殿ではなく、馬小屋を選びました。

宇宙の主である彼が、王家ではないけれど、

謙虚で、貧しいが、

信仰に深く敬虔な両親の子供として生まれることを望みました。

彼の持つ価値は、死すべき人々とは大いに異なります。

 

 

彼の目には、地上の壮麗さや栄華も、

プライドに満ちた敬虔さと、つまらない知識の現れに過ぎず、

彼の天くだる器にはそぐわない世界でした。

その理由は、

「心の純粋なものよ祝福されてあれ、彼らは神を見るであろう」

と書かれてある通りだからです。(山上の説教)

 

主イエスの母である聖マリアは、

すでに天使から、神の子をみごもった事を告げられていました。

彼女は大工ヨセフという良い人と結婚していました。

彼らはナザレに住んでいたのです。

ナザレの国の支配者は、

すべての人々が自国の町や村に自分の名前を登録し、

税金を払わなければならないという命令を出しました。

そのためヨセフは、故郷のベツレヘムに行きました。

しかし、彼らがそこに到着したとき、

一夜を過ごす家や宿がなかったのです。

 

 

主が生まれたのはここベツレヘムでした。

祝福された純粋で敬虔な羊飼いたちこそ、

主に会う人たちでした。

彼らは羊たちを放牧していたのですが、

彼らの前に天使たちが現れて、聖なる誕生を告げたのです。

天使たちは主を賛美し美しい歌を歌い、

主の誕生の目的を明らかにしたのです。

 

天のいと高きところには神に栄光。

地には善意の人に平和あれ。

 

イエス・キリストがこの世界にきたのは、

神の真理と最高の栄光、地上の平和と、

主に従うすべての人々の善意を再建するためなのです。

救い主を礼拝するためにやって来た羊飼いたちは、

文字通り、地上で初めて祝福された魂たちでした。

主の誕生の8日後、

両親はユダヤ人の習慣に従い、

エルサレムで主を神に捧げるために神殿に行きました。

エルサレムには、シメオンという名の良き翁がいて、

主イエスの神性を認めた定めの人物です。

 

 

彼が主を神聖な寺院で見たとき、

エスは救い主であり、

地上に降り、無知と罪の暗闇を払拭し、人々の罪を贖い、

愛と善の道に沿って導き、内の神の王国の実現する、

神聖な光であることが分かりました。

その同じ日に、

預言者アンナも主イエスに会うと、

エスは神の子であり、

世の光として輝く者である事を声高く宣言しました。

 

それから間もなく、

東方の賢者たちはベツレヘムに到着し主に敬意を表しました。

主が生まれたとき、非常に輝かしい星が空を照らしたのです。

この賢明な人たちは、かの星が、

先の預言者たちによって約束された救世主が、

生まれたことの確かな兆しであることを知っていました。

そして彼らはメシアを崇拝するために出発したのです。

彼らは星の指し示す方向に向かい、ヘロデの王国に来ました。

彼らが自らの使命をヘロデ王に説明すると、

王は喜びよりもむしろ恐れおののいて話を聞きました。

そして、

聖なる子がどこに生まれたかを、教えるように頼んだのです。

 

 

ヘロデは、彼も聖なる子を礼拝したいと言いましたが、

心の中では主を亡き者にしたいと企んでいたのです。

その後、賢者たちは、輝く星に従い続け、

そして主が待つ家にたどり着きました。

聖なる赤ん坊の前で賢者たちはひざまずき、

礼拝すると、献身と敬意の謙虚な象徴として、

彼に高価な贈り物を捧げました。

乳児イエスへの神の保護

賢者たちは天使から、

ヘロデにイエスの所在を打ち明けないようにと警告されます。

そのため賢者たちは再びヘロデに会うことなく

それぞれの道を帰って行きました。

こうしてヘロデは、凶悪な野心を挫かれ、

ベツレヘムの2歳未満の全ての子を殺すように命令を出します。

こうして王の役人たちは無慈悲にも命令を実行したのです。

 

 

そうして数千人もの乳児たちは、

ただちに天国の主の御足のもとに運ばれたのです。

しかし、主イエスと共にいた、ヨセフとマリアは、

来るべき危険を天使たちにあらかじめ警告されていました。

彼らはヘロデの権限の及ばないエジプトに逃げました。

天使たちが再び彼らの前に現れ、ヘロデ王の死を告げるまで、

主はしばらくの間、エジプトに留まっていたのです。

ヨセフとマリアとイエスが母国に帰ることになったとき、

ユダヤを支配するヘロデ王の息子の近くでは、

安全でないと感じたため、彼らはナザレに住むことにしました。

ナザレでは、救い主である御子、主イエス・キリストは、

敬虔な両親の息子として育ち、ヨセフから木工を学びました。

後の人生では、12人の偉大な使徒を形作り、

その炎の言葉は、すべての時代の無数の人間や、

地球上の国々の運命を象(かたど)る

神聖なマスターは、木材を相手にせっせと大工を学び、

道具や家具作りに励んでいました。

 

 

光の最初の光線

主が十二歳になったときヨセフとマリヤは過越の祭りのために、

エスエルサレムに連れて行きました。

エスは寺院と司祭たちの講話に非常に関心を持っていました。

実際、彼は神への思いと、神聖な律法に完全に没頭していました。

彼の両親が寺院を離れてナザレに戻ったとき、彼は寺院に戻り、

宗教上の疑問について議論をしていた教師たちに参加しました。

哲学のマスターにとってさえ、彼の言葉は驚くべきものでした。

すぐにヨセフとマリアは、

エスが一緒にいないことに気づきました。

大変驚いた両親は慌てて神殿に戻り、そこに彼を見つけました。

こっそりと立ち去った事をマリアは優しくも叱りつけましたが、

そうすると、イエスは驚くべき神秘な言葉で返事をしたのです。

「私が父の仕事しているはずだと、分からなかったのですか?」

 

 

その後約14年間の人生を、イエスはインドで過ごし、

ヒンドゥー教や仏教の僧侶のように暮らしました。

彼は燃えるような離欲、放棄の精神を持っていました。

インドでは、彼はヒンズー教の理想と原理に同化していました。

クリスチャンの多くは、

この「失われた時期」についての記述を信じないでしょう。

彼らは聖書にはそのような記録がないと主張します。

はるか20世紀ほど前の人物に関する記述ですから、

意見の相違が生じるのは仕方がありません。

旧約聖書には当然のことながら、何の言及も含まれていません。

新約聖書は、イエスによる啓示の後、

弟子たちが書いた福音書などで構成されています。

しかしながら明らかなのは、

インドを旅して賢者や予言者からイニシエーションを受けた期間

という彼の青春時代の記録について、一切の記述がないことを、

見つけようと調査することは無益ということです。

 

 

ある時期にイエスがインドで旅した時代があったということは、

初期の多くの歴史家が信じてきたことです。

とにかく今となっては、この話は根拠のないものになっていますが、

この話を受け入れるならば、

東と西の世界の間の愛の絆を強化し、

2つの半球の間の善意を促進するものとなるでしょう。

そしてそれこそが、主の使命であったのです。

 

 

神の化身がグルを求める

司祭ゼカリヤと、その妻エリザベスの息子である、

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ イエスのグル 導師)は、

天使のガブリエルの預言にしたがって、

人々に洗礼を与え始め、

この世が主イエスの光を受ける準備をしていました。

主イエスは今や約30歳になっており、

ヨルダン川のほとりに来るとヨハネに洗礼を求めました。

ヨハネはイエスの神性を認識すると、

「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、

あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」と答えました。

しかし、主は人類に模範を示そうと決めていました。

霊的な啓発というものは

グル(導師 教師)を通してこそ受けることができるからです。

洗礼が終わった瞬間、

彼の頭上に、神の霊が鳩のように降り、

彼に下って来るというビジョンを主は見ました。

そして、天の声がこう言いうのを聞きました。

 

あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ

 

 

洗礼者ヨハネでさえ、しばしば、

主イエスが自分よりも偉大な存在であると宣言していました。

しかし、主が彼のグルにおこなった献身を見てください!

エスはこう言ったのです、

 「おおよそ女性から生まれたもののうち、

洗礼者ヨハネよりも大いなるものはいない」

もっとも崇高な存在、大いなる最高の意識である、

主イエスでさえも、地上に降り立ち、

グルバクティ(グルへの献身)という模範を示されたように

グルへの献身とは、

閉ざされた神聖な王国の扉を開ける鍵なのです。

 

f:id:erohimaya:20181109163412j:plain

 

 

イエスの生涯と教え スワミ ・シヴァーナンダ 新連載 1

今日からスワミ シヴァーナンダの

「イエスの生涯と教え」

を連載します。

 

わたし自身、

 

10代でOTO(ドイツ聖堂騎士団)で学んでいるときに、

 

エスキリストがインドに行き修行した話を学びました。

 

シヴァーナンダジも

 

エスがインドに行き修行したことを教えています。

 

聖書ではイエスが12歳でエジプトに逃げた後のことは

言及されておらず、

30歳ほどになって再登場します。

 

わたしが学んだのは、

エスはインドでヨーガを学び、

その後チベットに行ったと教えられました。

 

さらに、

エスは独身ではなく、

結婚していたということです。

 

十字架に架けられて死に

 

 

復活したイエス

 

その後

インドに戻り亡くなりました。

聖書ではそこも描かれてはいません。

 

インドにはイエスキリストの墓が存在すると言われています。

 

それでは、

シヴァーナンダジの珠玉の話をお読みください。

 

 

 

私にとってのクリスマスの意味

スリ・スワミ・シヴァーナンダ

新しい年が近づく前ぶれであるクリスマスの祭典は、

人生の喜びと神の御霊とを結びつけ、

甘いメッセージと共に、静かに私たちの注意を、

本当の平和、まことの進歩、そして永遠の栄光という、

より多くの霊的な追求とへと誘(いざ)います。

「主よ、他でもなく定めによって、

クリスチャンとして生まれた、

このお恵みはあなたに帰するものです」

このように、ジェーン・テイラー、

(イギリスの詩人 きらきら星で有名)や、

ワッツは書き記しました。

これは狂信的な精神からの表現ではなく、

純粋なキリストの道と、生活様式がもたらす、

素晴らしい恩恵への慎ましい信仰告白なのです。

 

1956年前に(執筆当時は1956年)、

キリストの飼い葉桶で神聖に祝われた、

最初のクリスマスへの表現豊かな賛辞、

この誕生によって蒔かれた種子が、

その生涯で実を結んだ人による捧げ物なのです。

 

 

ハッピークリスマスは、

活き活きとした人生、

人の内奥の精神への霊感という、

感情の気高さに加えて、

何にも増してハートの喜びを、

私たちの輝かしい精神という価値である、

勇気ある断固とした精神、希望、犠牲的な奉仕、

より広く深みのある意味ある人生を、刷新し復活させるのです。

 

私たち一人ひとりに、

クリスマスの偉大な意味を解き明かすには、

とてつもなく膨大な量の執筆が必要になるでしょう。

このクリスマスが、地上の人々にとって、

大いなる幸せ、永遠の平和、新しい強さ、

長い人生の助け、愛、神への捧げ物、

そして愛、霊的進歩をもたらしますように!

 

 

このメッセージは1956年、

マドラスの「The Guardian」の、

クリスマス特別号に掲載されたものです。

 

f:id:erohimaya:20181105225620p:plain

 

 

十字架の道行き チャクラを通じて祈る

 

チャクラを通じて祈る方法

 

この方法はほとんど知られていない方法ですが

 

キリスト信者はこの瞑想でチャクラを目覚めさせて

 

キリストと繋がることができます。

 

眠れる予言者エドガーケイシーも

 

主の祈りを通じてキリスト意識と繋がる方法を教えましたが

 

この技法と非常によく似ています。

 

ルドルフ・シュタイナーは彼の著作

 

「薔薇十字学の神智学」の中で

原始キリスト教の深い教えについて述べています。

 

 

キリストの生涯を辿ることは

神秘学の奥義へ通じる容易い道です。

 

 

 

 

 

 

f:id:erohimaya:20181105182233j:plain

 

 

今 準備している出版予定の本は

 

スワミ ・シヴァーナンダの「主イエスの生涯と教え」です。

 

楽しみにしていてください。

 

OM

 

Shantih

 

 

①ナディとバンダ  ムーラバンダ

全身を流れるエネルギー、

 

プラーナ、気の流れはナディと呼ばれます。

 

 

それは本山博博士が、

 

シヴァナンダヨーガのスワミであるサティヤーナンダ先生と研究した結果として

 

 

証明されています。

 

f:id:erohimaya:20181101215227p:plain

 

私たちの全身のエネルギーの流れは

 

様々な障壁が存在しており

 

そのことが心の不安定や感情の浮き沈みにも繋がっています

 

これらの障壁、境界を取り去るベーダの技法があります。

 

それはスールヤ ウジャーイ シータリー バスティの4種類です。

 

この4種類のベーダにはバンダが伴います。

 

バンダはクンバカを行う前と後に行うものがあります。

 

 

バンダは3種類があります

1. ムーラバンダ(肛門 括約筋の締め上げ)

2. ウディイヤーナバンダ(腹部の締め付け)

3. ジャーランダラバンダ(顎を胸につけるように引いて喉を締める)

 

このようなバンダの目的は

 

ヨーガの八支則の重要な階梯、

 

プラティヤハーラの重要な基礎ともなる部分です。

 

多くの人はプラティヤハーラを

 

心と感情をコントロールしたり 押えつけることと誤解しています。

 

これはとても危険なことです。

 

プラティヤハーラとはプラーナを内在化すること。

言い換えるならばエネルギーの流れを逆向きにすることです。

 

キリストは 

目が罪を犯すなら抉り取れ 手が悪いことをするならば切り取れ

目や手があってゲヘナ(地獄)に行くよりも ましだからだ

と教えましたが

 

実際のところ これはラージャヨーガの深い教えを説いています。

 

私たちが感覚の対象に魅惑されて 我を忘れるのは

感覚の対象と感覚器官(五感)と心が結びついているからなのです。

 

 

そして、常にエネルギー、プラーナは外に流れ、

下に流れていきます。

このエネルギーの流れを逆転するときに

人は対象物や外界の出来事への自己同一視から解放されます。

 

ですからバンダはエネルギーの流れを変えるための重要な技法なのです。

 

 

ムーラバンダによって

常に下降する性質のアパーナは上昇させられます。

もしほおっておくならば、

情欲や貪欲のエネルギーを掻き立てるでしょう。

 

このアパーナは肛門から心臓の間にあるアグニ(火の領域)に達すると

燃え上がり、心臓から眉間の領域の風の力でさらに上昇して、

プラーナを混ざり

 

その結果クンダリニーが目覚めていきます。

 

ですから

ヨギは毎日ムーラバンダを実践しなければなりません。

 

 

 

f:id:erohimaya:20181101215153p:plain

 

 

 

f:id:erohimaya:20181101220045p:plain

 

 

OM

 

Shantih

 

楽しいヨーガライフの提案をしていきます