明らかにされたクリヤヨガ

伝統的なヨーガの情報とクリヤヨガの技法をお伝えします

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スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 62

 

霊的志願者とキリスト 

スワミ・クリシュナナンダ②

私たちはキリストの内に偉大な霊的人物と、

生涯のドラマにアディヤートミカ・サダナ、

(最高霊の霊的修行)が描かれているのを認めます。

 

キリストの降誕から昇天に至るまでの間、

エス様は神の壮麗を世に示し、

この地上に神の栄光を証ししました。

霊の幼子がお生まれになる時、

闇の帝国の支配者は幼子を亡き者にしようと試みますが、

大いなる困難があっても子をお守りしなければなりません。

子が成長するならば、子それ自身がご自分を世話するでしょう。

 

 

人はおのおのが、生まれたばかりの霊的な子の親であり、

幼子が生まれた国の王、つまりエゴ(自我)の猛襲から、

子自身に身を守らせなければならないのです。

霊的意識が漸進的なステップによって出現しようとしている時に、

非霊的な力の反乱は自然と起こり避けられないものです。

火にギー(バターオイル)を注ぐと、ギーは燃え上がりますが、

燃えさかる火の上に大量のギーをさらに注ぐと、

炎は消えてしまいます。

炎が燃えさかると、その火によってギーは燃やし尽くされるのです。

同じように、霊的な炎の煌めきも、

その火が幼子の段階では、世俗的な傾向に圧倒されていますが、

霊的意識の火が燃えさかると、

世俗性と全ての悪を燃やし尽くすのです。

神秘主義の用語で「魂の暗い夜」と呼ばれるものは、

無知の暗闇の中で、意識の息が詰まりくすぶっている段階です。

スリ・クリシュナの誕生は、この同様の事柄について関係しており、

同様の事実を指し示しています。

また、バカヴァッドギータの最初の章では、

高みを目指す魂がこのような状況の中で、

落胆する様が描かれているのです。

(アルジェナが弓を投げ出して戦意を失う様のこと 訳注)

 

 

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しかし、霊である自己は成功する運命にあり、

無知の根と枝を破壊するでしょう。

芽吹き始めた霊が、外なる性質の攻撃からなんとか身を守り、

肉の衣から抜け始めたとしても、

まだ霊の働きは完成されてはいません。

さらに大きな問題は、より高い自然の世界から生じます。

疑いようもなく、

物質的で粗悪な肉体の森を抜け出ることは大変な困難です。

しかし、さらに困難で危険なのは、

外へとむかおうとする宇宙的活動の枢軸である、

脈打つ精神的な性質の捉えがたい力を克服する試みです。

(人の内在するプラーナは常に外へ、下へ流れる。

この力が人を世俗的にする。

この流れを逆向きに変えるのが、プラティヤハーラである。

クリヤヨーガの科学を説明している。訳注)

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 61

霊的志願者とキリスト 

 

スワミ・クリシュナナンダ①

 

 

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イエス・キリスト、世の光、最高のロゴス(神の言葉)は、

犠牲、愛、知恵、真実を実現し、

比類ない鏡、模範として人類に姿を現しました。

人としてのイエス様は、

サダカ(霊性修行者)や霊的な道への参入者にとって、

霊的な人生、内的な生命の芸術を反映しています。

キリスト、人の子は人類の生命と声を代表しており、

いわば人の要、本質的実体が姿形をとったものであり、

神の子、宇宙の君主の輝きが化身した存在なのです。

霊の結晶化であり、神秘的なキリストと呼ばれる光は、

闇から世を救うために生まれます。

この「世の闇」とは外的な現象ではないため、

「闇を取り除くこと」とは物質的な性格なものではありません。

偉大なる人々は外見では見分けがつきません。

偉大なる人物かどうかと肉体の姿形には関係がありません。

 

 

立ち振る舞い、行い、性格、言葉、思い、

あらゆる種類の意識の表現によって、

偉大な人は見分けることができるのです。

これらの特別な特性から、偉人の存在は推し量られ、

またダイレクトに認識されるのです。

霊の素晴らしい大海を理解し、

全ての人の瞳の中で瞬く光と、

全ての存在の心臓に住まう大いなる神、

彼こそ偉大なる者です。

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 60 チダナンダジの言葉  全文

 

今回も ものすごく時間がかかってしまいました

 

30代まではSRFを中心に ヨガナンダ先生の教えを研究していましたが

30代以降はシヴァーナンダ先生の教えを学び

TTCとATTCを卒業しました

 

もちろんヴェーダの世界がそれで学び終わるわけではありません

 

以前からのシャンチャリヤのブラフマスートラも合わせて

研究を進めてきましたが

 

今回 シヴァーナンダ先生の弟子とも言われるチダーナンダジ

 

そしてクリシュナナンダジの著作などを翻訳してみて

 

あまりにもヴェーダの理解が深くて驚愕しました

 

その英語の文章を 日本語にする過程で

 

あまりのストレスで しばらく PCを開けることもできなかったわけです

 

なぜなら 文意はもちろん 日本語にするときに

 

適切な言葉を探すのに 2〜3行で2時間や1日かかることもあるからです。

 

 

ですから 翻訳をお待ちいただいている方々にいは 大変お待たせしました

 

あともう少しで 翻訳が終わりますので(この本に関しては)

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

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      キリストの聖なる生涯 

スワミ・チダナンダ

 

世の光よ、私の心は汝をお慕いします!

主よ、全くの謙虚さを持って、

幾たびも幾たびもあなたを伏し拝みます!

栄光が世々限りなく汝のものでありますように!

 

キリストである主イエスは存在します。

今ここにいるのです!

キリストは永遠なる存在だからです。

主は言葉によってではなく、

栄光ある復活によって、この真実を世に宣言しました。

それでは、どこを探して彼を見つけられるのでしょうか?

主は美徳と善意があるところにおられます。

神聖な愛、純潔、真実、聖性、祈り、

絶え間ない奉仕と完全な自我の放棄の中に主は鎮座しています。

信仰、献身、謙虚さ、心を鎮めて神の意志への忍従、

憐れみと、正義への紛うことなき渇望、

これらによって光り輝くハート(心)の内にキリストは存在し、

煌めき、生命を燃やし、輝かしく顕現されるのです。

 

 

ああ、愛すべき兄弟たちよ!

エス様のようになりなさい。

そうすれば、自身のうちにキリストを見つけるでしょう。

 

キリストが私たち一人一人のうちに生きるべきです。

主の存在も行いも過去のものではなく、

私たち自身を通してこそ、主の人生もその業も

本質(ブラフマン 訳注)へと捧げられ、

栄光あるものとなります。

この重要な霊の王国の法を、

明白な言葉で世に知らしめた、偉大な魂たちのなかに、

トマス・ア・ケンピスがいます。

(トマス・ア・ケンピス:

ドイツのケンペンの生まれ。

「キリストに倣いて」の著者として有名。 訳注)

 

 

もし、あなたが光、お恵み、永遠の生命という、

天の国を手に入れたいと望むならば、

キリストに倣い、行いと人生を主に似たものとしなさい。

この点については、救い主の直接的で明確な教えの中でも、

さほど強調されてはきませんでしたので、

主ご自身の言葉から説明しましょう。

「主よ、主よ。と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、

天におられるわたしの父の御心を行なう者がはいるのです」

この聖なる父の御心(意志)が人格化し、

聖なるイエス・キリストの本質となったのです。

キリストに倣いて、キリストに従い、

キリストの想いにかたどられた者となり、

私たちの人生の行いの中で、

キリストの崇高なる訓戒の一つ一つを実行することこそ、

天の父の御心を行う、最も完全で有効な方法なのです。

あなたがキリストのものになりたい、

主の聖なる交わりの一員となりたいと、真摯に望むならば、

「神の御心を行う者が、私の兄弟、姉妹、私の母です」

と主が言われたように、

この道こそ唯一無二なのです。

 

 

私たちの内にキリストが存在し、

私たちの行いがキリストの行いとなること、

すなわち、

私たちがそれの内に存在し行動することにより、

偉大な価値、本当に意味あるもの、深い意義である、

キリストの生命がもたらされます。

 

神への道をどのように歩むかを教えるために、

主キリストはご自身と生涯を道として人類に捧げました。

聖なるものへと変容するための方法を、

主ご自身を通して具現化したのです。

あなたの小さい人間的な自我から上昇し、

キリスト意識へと達することは、

非実在から実在(リアリティー)に、

暗闇から永遠の光に、

そして死から、喜びに満ちた永遠の生命に入ることです。

 

 

あなたの前に、輝ける模範、

キリスト者としての理想があるならば、

「道がわからない。どの道を行けばいいのか?

道を知ってさえいれば喜んでキリストに従うのに」

などという言い訳は絶対にできないでしょう。

「わたしが道であり、真理であり、生命なのです。

わたしを通してでなければ、

だれひとり父のみもとに来ることはありません」

ヨハネ福音書14章6)

キリストのこの言葉が鳴り響いているではありませんか。

はい、まことに、まことにその通りであります。

永遠の生命なる王国の扉を開ける、

唯一無二の間違いのない確実な鍵とは、

キリストの理想のうちに成長することです。

 

この変容をもたらすために、

私たちが主の言葉と行いから識別できるのであれば、

非常に貴重な手掛かりとなるものを、

救い主はご自身をもって私たちに与えたのです。

 

 

救い主による神殿の清めと、

(マタイ21、マルコ11、ルカ19、ヨハネ2章参照 訳注)

エリコの取税人ザアカイの家への訪問を思い起こしましょう。

ルカによる福音書19章1~10 訳注)

主の訪問によって、ザアカイは今までの生き方を変えて、

過去の行いを償い、義人として生きる決心をしたのです。

これが教えであり、霊的変容の真の秘密です。

まず、あなたの内なる性質を徹底的に清めてください。

あなたのハートの寺院の基礎となる要素を、

すべての残酷さ、欺瞞、何でも値踏みする精神、

世俗性から浄化するのです。

ハートの寺院を神のまことの家にしましょう。

これが行われれば、あなたの人生はガラリと変わります。

心を完全に入れ替えなさい。

罪から自由となり、

永遠の生命と尽きぬ恵みを受けるに相応しい者となれば、

救いはあなたのものです。

キリストは、まさにこの霊的生活の法則について、

誠実なパリサイ人ニコデモに、サダナについて解説したのです。

それは、より完全で直接的な表現でした。

 

 

この法則について繰り返し述べましょう。

それは主が、小さな子供が来るのを許したときの言葉です。

「誰でもこの小さな子供のようにならなければ、

天の王国に入ることはできないだろう」

そうです、あなたはもう一度生まれなければなりません。

そして純粋で、無垢でエゴがない者となり、

子供のようになることが求められるのです。

そして、そうなるだけで、

光り輝く至福の王国の扉があなたに向かって開かれるでしょう。

しかし、まことの、

心からの完全な変化であることを心に留めてください。

口先だけ、表面的な振る舞いなど、

単なる外側だけの変化ではいけません。

あなたは、完全に「違う人」「新しい人」に、

ならなければならないのです。

古い人は完全に消滅しなければなりません。

 

エスご自身の素朴な人格は、崇高な子供として、

すなわち素朴で純粋、無垢でエゴがない、

父の子として象徴されています。

子は完全に父を信頼しています。

彼こそ父が「大いに喜ぶ」「愛しい息子」なのです。

 

 

彼のようになるためには、彼に従いなさい!

これはキリスト霊からの人類への召し出しなのです。

恵みに満ちた日々、ベツサイダのピリポに、

主はスリリングな2つの言葉を投げかけました。

主は今もその言葉で私たちに呼びかけておられます。

「私に 従いなさい」

従うべきです。

これは、主の生涯の細部に至るまで、表面的に従うのではなく、

主の徳、愛と憐れみ、完全な自我の消滅という、

輝ける内なる道を登っていくことを意味しています。

そうして、主に従うために自らを整えた、祝福された人々に、

主は特別な三つの戒めをもって道を指し示してくれます。

 

 

最初の戒めはこれです。

主の自由の終焉となった、悲劇的な最後の場面となる、

オリーブ山のある、運命のゲッセマネの園へ向かう途中、

パリサイ人がこう尋ねました。

「先生、律法の中で、最も大切な戒めはどれですか」

そこで主イエスから忘れられない言葉が述べられます。

「そこで、イエスは彼に言われた。

「神はただお一人です。

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい」と。

さらにこうも言われました。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」

これこそ、最高のヴェーダンタ的 アートマ バーヴァ!

(マタ福音書22章34~40  訳注)

「あなたがたに新しい戒めを与えます。

あなたがたは互いに愛し合いなさい。

わたしがあなたがたを愛したように、

そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」

ヨハネ福音書13章34  訳注)

 

 

ああ人類よ!この別れ際のイエス様の貴重な哀願に対して、

あなたがたは一体何をしてきましたか?

貴重な授かりものである崇高なキリストの愛は、

ああ人々よ、国々よ、民族たちよ、今やどこにあるのですか?

比類のない主の愛という宝が、

なんと残酷な所へと追いやられたのでしょうか。

霊的な盲目のために、致命的に受け入れてしまった、

この憎しみ、略奪という負の遺産は何処からきたのでしょうか?

貪欲で満ちた心というゴルゴタで、

優しいイエス様を十字架で磔刑に処したのは、あなたなのです!

ちょうど今日の世界で、

無力なエルサレムが神の愛と祝福を拒んでいるようにです。

これがこの公明正大な地上での運命というものでしょうか?

いいえ!断固としてNOです。

この世で信仰がある人たちがほんの一握りさえいれば、

ほんの僅かの人でも主に喜んで従う限り、

希望は人類の未来を明るく照らすでしょう。

彼らを通して、キリストの御霊はこの世を再び生き、

この地上を啓発してくれるでしょう。

彼らによってこの現代の真っ只中で、

キリストの霊が復活するでしょう。

 

 

信仰を持つ人々が僅かでもいれば、

人類にキリスト意識の祝福が与えられるのです。

主の教えはキリストそのものです。

主の訓戒にキリストは具現化されています。

これらの訓戒を生きる人は、彼の存在の唯一の目的である、

人生の主要な義務を果たしているのです。

キリストの人格と理想への敬愛、崇拝と賛美があるならば、

熱心さや活発の欠如、

上っ面だけの模倣などある筈がありません。

そのような偉大な人物の人生を、私たちは生きるべきです。

こうして、こうしてのみ、

あなたは自身を主の御霊で満たされるのです。

世界の人々が主の呼びかけに応え訓戒を守りますように。

一人、そしてやがて大勢の方が立ち上がり、

彼に従いますように!

よき羊飼いキリストが私たちを強めて、

暗闇と悲しみから、永遠の光、至福の永遠の世界へと、

安全に導いてくれますように!

栄光あれ、キリスト主イエスに栄光あれ。アーメン。 

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 59 クリシュナナンダジの言葉  全文

 クリシュナナンダジの文章があまりにも難解すぎて

 

めちゃくちゃ時間がかかりました

 

特に後半の非二元論などの文章は 日本語にするのに物凄く時間がかかりました

 

どうやれば わかりやすい日本語になるか 試行錯誤しましたが

 

結果的に 余計わかりにくくなったかも知れません

 

申し訳ありません

 

脳に炎症が 起きてるんじゃないか くらい 知恵を絞りましたが

 

これが限界です

 

製本するときに もう少し追い込んでみます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  イエスの人生は  秘蹟そのもの 

スワミ・クリシュナナンダ

エス様は超越的な光の証人として来られました。

聖なる人たちは、宇宙の最高神である父の命により、

人類を無知、過ち、罪から救い出し、

正義と幸福に輝いた人生へと導くために肉体を纏うのです。

聖人ツカラム(Saint Tukaram)はこうおっしゃいました。

「私たちはヴァイクンタ(天国)に住んでいますが、

人類を助けるために地に降りるのです」

(聖ツカラム:

16世紀のインドの詩人・歌人

人生で一番大切なことは、神であるクリシュナを、

いつも想い讃えることだと説きました。

最後には神の国から迎えが来て。

生きたまま昇天したと伝えられています。訳注)

 

 

この宇宙を支配する「全能の霊的な法(Law)」は、

世界に姿を現し顕現するときに、

無限の姿形をとることができます。

そのような姿形(神の化身 訳注)は、

永遠の光を証しするために顕現されるのです。

神の子、キリストの受難の生涯は、永遠の象徴である存在が、

その源である父を、どのように証ししたのかを示す、

素晴らしい手本と言えるでしょう。

聖人の受難には克己の苦行として、故意に自らに課したものと、

外の世界からの働きによるものがありますが、

いずれにせよ、その生涯には偉大なる意味が含まれています。

「天の父を愛するために、この世への愛をあきらめ、

神の子のために命を捨てる者は、まことに生きる者となります」

この言葉に含まれる完全な意味はこうです。

神の子、偉大なる聖人はこの世に来ますが、

幻惑である地上の慣習や規則に、慣れ親しみ従うことを拒否し、

この世とは正反対の流れの力、

理想的な人生である特質を肯定します。

それは、この世俗の世界に神の正義を実現するため、

そして超俗的な不滅の法を証しするためなのです。

世知辛いこの世界に死ぬことによって、

人間の理知を超えた平和の中で生きることができます。

 

 

主キリストは、天の父の命に従い、

父のご意志を果たすために地上に来られたと仰いました。

また、父の天国は私たちの内側に存在するとも仰いました。

この言葉が意味することとは、

すべての内にある、霊的な法が現れるために、

聖者の生涯そのものが捧げられた犠牲であるということです。

すべての人々の内にあるもの(法)とは、

天の父から受け継いだ人間性と、本質(アートマン 訳注)です。

人としての生涯とは、自分自身の起源である善意、

愛と知恵と真実を実証するためにあります。

ユニバーサル(宇宙的)な人生を生きるためには、

天の偉大な父の表現である正義を主張することが求められ、

すなわち正義を遂行することこそ、

多様性から成るこの世界を一つにする力なのです。

聖人の生涯とは秘蹟、聖なる行為、聖なる崇拝そのものです。

神の子である聖者にとって、苦しみは避けられないものです。

なぜなら、キリストの言われているように、

「神の子にはまくらする所がない」からです。

義なる者になり正義を行いたいという、

果てしない思いのみが彼を動かしています。

エス様の誕生から磔刑での死に至るまでの生涯は、

自我の完成への過程を描いた雄大な物語なのです。

 

 

神の実在の中で、

大宇宙は自己実現に向かって変化を続けていく。

それは進化の歴史の中に刻まれていく。

小宇宙である聖者の生涯での出来事も同じです。

万物は一つになろうとする力の中に存在し、

自我意識の中で自己を認識する弛まない努力をしています。

それゆえに生命のあらゆる段階は必要とされる瞬間なのです。

すべての人の人生は、過去から未来に至るまでの、

個人の全体的な進化の本質を示しており、

それらの経験が完徳へとつながるのです。

エス様、そして主クリシュナの生涯とは、

個人の意識と「気づき」が初歩的段階から無限なる神格に至り、

完全に開花するまでの体系的な変化の直接的な実例と言えます。

意識的にかつ計画的に行われる霊的な努力のプロセスを、

進化を完全に描いた劇として、一人の人生に要約できるのなら、

エスの生涯こそ、

進化のドラマを具体的に描写したものと言えるでしょう。

エス様がこの世にお生まれになった時、

分国王ヘロデはその命を狙っていました。

そのため両親は遠く国を離れて、

エス様を守らなければなりませんでした。

 

 

主がどのように成長したのかは謎に包まれています。

やがてイエス様は神聖な人生についての福音を教え始めました。

彼は人々から、幾たびも抗う、様々な誘惑を受け、

罪の汚名を着せられ、不当な裁きで判決を受けて、

そして十字架上で亡くなられたのです。

 

人の霊魂も同じ様に、

物質と精神の力により閉じ込められ、

世界から抗われているのですが、

そのことを理解することによって、

纏をつらぬいて現れ始めるのです。

現れた霊的な火花が完全に消えてしまわない様に、

私たちは守らなければなりません。

これがヨーガの実践における予備段階です。

時々、霊魂は「暗い夜」に見失われますが、

不思議なことに後になって「暗い夜」から、

本来の完全な尊厳と力を携えて姿を現します。

そうすると、全ての行いと経験に霊魂の法が確立され、

宇宙の力が現れ始めるのですが、

人智の理解を超えた彼の立ち振る舞いは対立をもたらすのです。

 

 

最高我(アートマン)と新たに一致した個々の魂は、

この世界の自然の力に逆らっていることを理解します。

激しい誘惑に会い、あらゆる方法で試され、

この世的な普通の生活には不向きだと宣告さえされます。

それは神の領域の意識と、この世の人の欲を、

同時に持ち生きることが不可能だということです。

最高神の意志に従うために欲望自身を捨て去り、

至福に満ちた「無限なる者」との和合のために、

個性すらも投げ捨て、

心変わりの元となる、死すべき乗り物(肉体)や、

神から引き離す情熱に死ぬことさえします。

 

偉大なる理想を探求する上で、

霊的志願者が道をあやまたないように、

キリストの教えは本質的な原則を示してくれます。

霊的生活で成功するための、要となる鍵は信仰です。

「多くの人が聖職者の袖に腕を通すだろうが、

その人たち全てが本当の教師とは限らない」

と、キリストは人々に警告しました。

このような偽りの教師たちを警戒し、

真の教師であるキリストに信頼を置かなければなりません。

 

 

信仰の力とは、キリストが教えたように、

からし種一粒の信仰があれば、山を動かすことができるのです。

食べ物や衣服への憂いが志願者にあってはなりません。

エスの教えはこうです。

「神の知恵は人に優り、神は人を守る知恵に長けている」

「休息と光と救いだけを求め彼(神)のもとへ来ることこそ、

人の義務なのです」

更にこうも語りました。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と

言う者がみな天の御国にはいるのではなく、

天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです」

口先だけの謙遜や献身ではなく、

無条件の全託による心からの誠実のみが、

人を神のもとへ連れてゆくのです。

公共の礼拝、路上での祈り、太鼓を叩くこと、

それが霊的な努力を意味しているのではありません。

沈黙のうちに犠牲をおこない、

唯一神との絶え間ない強い一致こそ霊的努力の目的です。

 

 

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、

彼らは飽き足りるようになるであろう」

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、

彼らは慰められるであろう」

「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである」

人が神のために自分の命を犠牲にする覚悟ができた時、

神はご自身の姿を彼の前に現わすでしょう。

 

神の信者の卓越した特徴とは、

彼の存在そのもの、その全てが、

まるで甘い香りのように影響を与えるということです。

「丘の上に築かれた街は隠れることはありません。

その街の光が世を照らすからです」

 

人の存在の中心を形成する霊的本質は、

彼が神と一つとなることで、いかなる努力も必要とせずに、

彼を通して調和し、その姿を現すのです。

 

 

太陽が昇り空に姿を現わすと、ただそれだけで、

見る者の五感を通じて、その存在が感じられます。

しかしながら、

梟が太陽を知らず、盲人が光を見ることがないように、

無知な者は、世のいける神殿である、聖人を通して輝く、

神なる霊の活動に気づくことは無いのです。

キリストと弟子たちの活動は、

終わりある個としての、思いの成就の過程としてではなく、

大宇宙の神の栄光を確立するという、

広大無辺な活動の一部として理解されるべきです。

 

内側の世界、宇宙の君主からの霊的な恵みであり、

外なる世界に目に見える徴として天より降ったもの、

それがキリストの生涯であり、真の秘蹟サクラメント)です。

尽きることの無い神の愛、彼は肉を纏い、

人類をこの愛の源へと贖うために、罪を背負い苦しまれました。

愛と犠牲は不死の門を開く鍵です。

 

 

祈りについて申し上げれば、

自身の苦痛からの救いは求めず、

神の法を知らないために、苦しむ人々の、

贖いのために祈ることこそ、

愛と犠牲という美徳を、人生で花開かせる真の姿です。

キリストが起こした奇跡は、主の全能の力を示していますが、

その力は救いを求める人々のためでした。

エス様の生涯をかけた使命とは、

人々の目を開き、地の埃の遥か上に輝く光を見せるだけでなく、

正義のために悪とサタンの誘惑に打ち勝ち、

まさにこの地上に天の王国の旗を掲げることだったのです。

この世での生活とは、

地の相対的法則と神の絶対的法則との融合です。

カエサルのものはカエサルに返しなさい。

神のものは神へ返しなさい」

ルカ福音書20章20~

 

 

霊的志願者が神と地上の王国の両方の法を理解して、

調和のうちに霊的な熱望を発達させることは、

この相対的な人生の中で、非本質を強調しすぎたり、

本質を無視することなどの誤りを防ぐために必要なのです。

人間とは、神と獣性が一点で交差しており、

彼の内にある神の力を知性に適用することで、

彼の内で活動している非神性の力、

獣性を超越しなければなりません。

 

キリストは素晴らしい現実主義者でしたから、

天にまします父のようになりなさいと、

優しさ、愛、奉仕、神への礼拝の重要性を強調したのです。

彼は偉大な理想主義者でしたから、

天の王国は人の内側に存在し、

「人を汚すのは外から入ってくるものではなく、

人の内から出てくるものである」と断言したのです。

この広大無辺な世界の単一性と有機的な性質は、

宇宙における人間の経験という理想的な性質が、

実存と総合されて顕現した無秩序と言えます。

神はその内に存在し、またその外にも存在します。

世界は私たちの内に存在し、また私たちの外にも存在します。

苦行と愛はどちらも私たちの責務です。

内なる力と外なる力という、平行する世界を統合することで、

世界の霊的な復興を成し遂げて、

この地上に神の王国を樹立できるのです。

キリストの教えによると

注意深い学徒は知恵と聖性、形而上学と倫理、

現実主義と理想主義、自我の放棄と自己表現、

知識とその対象を、最も驚異的で分かりやすい形で理解します。

神の人のみがそれができ、

キリストはそのような存在でした。

彼の人生は訓戒であり、彼の教義は神の言葉でした。

彼の教えを聴き、従うことによって、

永遠の幸福が約束されています。

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 58 クリシュナナンダジの言葉①

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  イエスの人生は秘跡であった

スワミ・クリシュナナンダ

エス様は超越的な光の証として来られました。

聖なる人たちは、宇宙の最高神である父の命により、

人類を無知、過ち、罪から救い出し、

正義と幸福に輝いた人生と導くために肉体を纏うのです。

聖人ツカラム(Saint Tukaram)はこうおっしゃいました。

「私たちはヴァイクンタ(天国)に住んでいますが、

人類を助けるために地に降りるのです」

(聖ツカラム

16世紀のインドの詩人・歌人

人生で一番大切なことは、神であるクリシュナを、

いつも想い讃えることだと説きました。

最後には神の国から迎えが来て。

生きたまま昇天したと伝えられています。訳注)

 

 

この宇宙を支配する「全能の霊的な法(Law)」は、

世界に姿を現し顕現するときに、

無限の姿形をとることができます。

そのような姿形(神の化身 訳注)は

永遠の光を証しするために顕現されるのです。

神の子のキリストの受難の生涯は、

永遠の象徴である化身が、如何にして、

その源である光を証ししたかの素晴らしい例です。

聖人の受難には克己の苦行として、故意に自らに課したものと、

外の世界からの働きによるものがありますが、

いずれにせよ、その生涯には偉大なる意味が含まれています。

「天の父を愛するために、この世への愛をあきらめ、

神の子のために命を捨てる者は、まことに生きる者となります」

この言葉に含まれる意味はこうです。

神の子、偉大なる聖人はこの世に来ますが、

幻惑である地上の慣習や規則に、慣れ親しみ従うことを拒否し、

この世とは正反対の流れの力、

理想的な人生である特質を肯定します。

それは、この世俗の世界に神の正義を実現するため、

そして超俗的な不滅の法を証しするためなのです。

世知辛いこの世界に死ぬことにより、

人間の理知を超えた平和の中で生きることができます。

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 57 チダーナンダジの言葉

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今日はスワミ チダーナンダジの言葉です。

み国が来ますように

     スワミ・チダナンダ

人類の罪の贖いのため、

そして最高の幸福への道を指し示すため、

至福と大いなるアートマンのイルミネーション(啓発)を、

もたらすために地上に化身された主イエスの御足に、

心からの愛と尊敬を込めて、

そして謙遜と熱烈な思いを込めて、

数えきれぬ平伏を捧げます。

この世における神聖な人生の手本を知らしめたもう、

キリストであるイエス、神の子に、

伏し拝みご挨拶をいたします。

主の聖なる御足の謙虚な僕として、

彼の崇高な実在と生命に生きる恩恵を受けたのは、

私にとって身に余るお恵みです。

 

遥か20世紀前の、喜ばしき聖なるクリスマスの夜、

全能なる神の恵みと慈悲は、神なる姿をまとい、

この世に降誕されたのです。

 

 

その方こそ、崇拝すべき主イエス・キリストです。

彼こそ人の姿を借りた神の愛の権化です。

神の栄光がこの驚くべき人格から輝いていました。

その荘厳な夜、偉大な星の光が東の空を照らし、

このパラマジョーティ(至高の光)の降誕を告げました。

光の中でも、最高の神聖なる光線、

常にこの地球を照らしたもうアートマン、それが彼です。

ああ!

神の化身の聖なる現存によって、聖化されたその日は、

なんと祝福された日でしょうか!

もっとも祝われるべき偉大な日なのです!

ああ、人類よ、喜びなさい。

あらゆる悲しみ、苦痛と死を超えて、

至福の王国の彼方へと導く道があり、

あなたは道を照らし導いてくれる、

最高の光を手にしているのですから。

喜びなさい、あなたは、聖なる友、哲学者、

大師を持っていて、彼は崇高な人生をもって、

人間として最高の幸福を得る秘密を教えてくれるのです。

 

 

主イエスは、神の国の喜びと完徳(パーフェクション)を、

達成する方法を教えに来ました。

私たちの内にある天国を、見出す方法を教えるために、

この世界に住まわれたのです。

人々を啓発する主の呼びかけとは、

「この腐敗し易い物質世界の些細なるものを放棄し、

聖なる完徳、永遠の至福と不滅の存在という、

高い霊的理想を達成するために奮闘せよ」というものでした。

世界中の富を全て手に入れるよりも、

アートマンを悟ることは、遥かに素晴らしいことだと、

主は教えたのです。

「まず天の国を獲得せよ、

そうすれば他の全てのことは添えて与えられる」

「たとい全世界を手に入れても、霊魂を失うのなら、

何の得がありましょうか」

 

 

地上のいかなる財宝よりも、

アートマンは貴重で最高の宝であると知るべきです。

アートマンは不滅、永遠、崇高なる完徳であり、

その本質は無上の喜びです。

この世に来て、この死すべき世界の儚きものを、

追い求めるという、愚かな行いを捨て去り、

不滅、永遠なる最高の存在を求めなさい。

ここに祝福があります。ここに至福があります。

そのようにイエス様は教えられました。

 

それだから、まず天の国を求めなさい。

キリストに倣い生きなさい。

この束の間しか存在しない世界の、

とるに足らない物事など、一切手放しなさい。

全ての欲望を諦めて、主に従うのです。

「すべてを捨て去らない限り、私の弟子になることはできない」

と主は言われました。

聖書の中での、豊かな若い貴族への忠告を思い起こしましょう。

「しかし、あなたがしていないことがまだあります。

あなたの持ち物を売り払い、貧しいものに分け与えなさい。

それからあなたの十字架を手に取り、私に従いなさい」

 

 

それから、

「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、

神の国にふさわしくない」とも、主イエス様は言われました。

すべてを放棄するなら、すべてを手に入れることでしょう。

 

恵みあふれる主は、ご自身の人生をもって、

肉欲という低い生命に死ぬことで、確かに、

霊のうちに、誉れある生命に再び生まれることを教えたのです。

「わたしのために己の命を失うものは、それを見出すだろう」

このような重要な言葉をイエス様は残しました。

汚れた我を絶滅させ、すべての欲望を撲滅して、

情欲を根絶やしにして、すべての欺瞞を破壊して、

肉欲への愛着を諦めることこそ、

霊的生命の花を咲かせる方法なのです。

 

タパシャとティティクシャ、自己否定と自己犠牲、

苦難と苦行の人生は、十字架を手に取り、

主に従い栄光へと導かれるための手段です。

 

 

タパシャ Tapasya

熱とエネルギーの発生を意味する。

瞑想、奉仕、規律などの霊性修行、自己訓練を意味します。

3つのタパシャがあります。

身体のタパシャ言葉のタパシャ心のタパシャ

ティティクシャ Titiksha

ウッダヴァ・ギータでは、

「忍耐の中の忍耐力」として定義されています。訳注)

 

謙虚さ、正義、思いやり、純潔、

これらは天の無上の喜びである、王国への正門なのです。

ほんの少しの間、主のもとを訪れ、

お恵みと栄光に至る、この聖なる道を、

どのように教えられたのかをみてみましょう。

 

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それは聖なる安息日のことでした。

恵みに満ちたカペナウムの地に主はおられました。

主はシナゴーグユダヤの会堂)で説教し教えを授け、

その後、ペテロの姑を癒されました。

日は傾き始めていました。

 

 

主のもとに大群衆が押し寄せて来た様を見ると、

エスは彼らを祝福し、病の人を治し、癒し慰めました。

そうすると更に群衆が増えていきました。

その数の多さを見ると主は山に向かいましたが、

それを見た群衆もつかず離れず主に従います。

そうして、主は彼らを見渡すと話し始めたのです。

あかね色に染まった栄光に輝く空の下で、

山の頂に立ち、夕暮れに浮かび上がるイエスの姿は、

なんと感動的に輝いていたことでしょうか。

主の顔から霊的な光明が射していました。

主の存在そのものが、天の光を放っていたのです。

そうして、主は彼自身を群衆に捧げ、

慈愛に満ちた甘く優しい口調で彼らに話し始めました。

 

 

主はこのように垂訓しました。

 

こころの貧しい人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

 

悲しんでいる人たちは、さいわいである、

彼らは慰められるであろう。

 

柔和な人たちは、さいわいである、

彼らは地を受けつぐであろう。

 

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、

彼らは飽き足りるようになるであろう。

 

あわれみ深い人たちは、さいわいである、

彼らはあわれみを受けるであろう。

 

心の清い人たちは、さいわいである、

彼らは神を見るであろう。

 

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、

彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 

 

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

 

わたしのために人々があなたがたをののしり、

また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、

あなたがたは、さいわいである。

喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。

あなたがたより前の預言者たちも、

同じように迫害されたのである。

 

 

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そして、あなた方はこのように祈るべきです。

 

主の祈り

 

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

 

御国と力と栄光は、

世々限りなくあなたのものだからです。

アーメン。

 

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これが山上の垂訓です。

この垂訓は限りなく人類に慰めを与えることでしょう。

この垂訓のなかには全ての宗教と全ての聖典の本質があります。

ここには、ヴェーダウパニシャッドの中心となる教えがあり、

神性とつながる王道の解説があります。

それは低我に死に、自我の完全な撲滅、謙虚さ、純潔、

正義に生きること、憐れみ、信仰と自己奉献という、

神性に生きるということなのです。

ああ!もし全ての人が、恵みあふれる福音を、

心のなかで祀っていたならば、

この世界はどれほど祝福されたでしょうか!

教えは実行しなければならない。

そのようにイエスは言われました。

光は輝き道を照らすものです。

この教えはあなたと、私たち全ての人たちのものです。

この道に足を踏み入れて徹底的に歩み通すのです。

「み国が来ますように」

神性な国に喜び勇んで入りなさい。

「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」

これは、ヨーガのサダナ(霊性修行)によってもたらされる、

シャクティー、聖なるマナ、霊的な食物を請い願う、

まことの祈りです。

 

 

悪からお救いください」

これは外の世界からのものだけではなく、

むしろ、欲望、怒り、貪欲、不自然な愛着、

プライドと嫉妬というシャッドリプスから、

私たちをお守りくださいと祈ることであり、

マーヤ(幻想)という最高の幻惑からの救いを求めることです。

 

山上の垂訓の精神を生きることは、

キリストに倣い、キリストに従うという、信頼に足る方法です。

主に従うことは、幸福への階段を登ることです。

エス様に忠実に従う者は、非現実から現実へ、

暗闇から永遠の光へ、死から不死へと引き揚げられるでしょう。

あなたが主の垂訓の精神を生きるのならば、

あなたの祈り求める、

「天におられるわたしたちの父」「み国が来ますように」

は直ちに叶えられて、

今ここで天国は実現します。

喜び、平和と幸福が、あなたの人生を勝ちとるでしょう。

 

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甘美なるイエス様、恵みあふれる主よ、

心の中に座すあなたの現存が、

人々を啓発して栄光ある道を歩ましめたまえと、

求めるこの奴隷の慎ましい祈りを叶わしめたまえ。

私たち全員があなたのお恵みによって祝福され、

この名ばかりの虚ろな儚き世界から立ち返り、

何よりも第一に神の国を探し求めますように!

内なる霊の真の英雄的資質をもって、

私たちが人間らしくあり、生きられるように、

あなたの強さを授けたまえ。

あなたが困難に向き合ってお手本を示されたように、

私たちも勇気と喜びをもって、自分の十字架を手に取り、

あなたが私達に直面していることを示したように、

人生に向き合えますように!

私たちが神性な人生を送れるように、

聖なる完徳という真のゴールに到着できますように!

 

 

主なるイエス様、清浄と平和の王子、

慈悲の使徒であり、愛の君主、聖なる人類の救助者、

あなたに栄光あれ!

神の化身であるあなたは、人の姿を借り、

私たちにご自身の人生をもって、

永遠の至福と栄光ある霊に至る道を示したのです!

エスに幸あれ!神の母マリアに幸あれ!

全能なる神に幸あれ!み国が来ますように!!

 

 

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スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 56 と勉強会

2月23日(土)に勉強会を行います。

場所<カラフル会議室 札幌駅前>

 

東カン札幌駅前ビル 901号室

※玄関ドアに“salut”(サリュ)と表示しています。

住所: 北海道 札幌市北区 北七条西 4丁目1-1

          

札幌駅北口から10秒です。

今回は大通りではないのでご注意してください。

 

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時間:18:00~20:30

 

参加費:3000円 当日払い

 

持ち物:お手持ちのギータの本をご持参ください。

    なくても構いません。

 

予約方法:erohimaya@gmail.com

        お名前を書いて

     「勉強会参加します」と送信してください。

 

書籍購入予定の方は こちらの本をお勧めします。

 

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下のリンクから購入できますよ♡

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            第6章 シンポジウム

      クリスマス・その霊的意味       

シュリ・スワミ・シヴァーナンダ

クリスマスは人類の歴史の中でも、記憶すべき日であり、

救世主イエスの誕生日であることは、

世界中の人々に知られているとおりです。

確かに、クリスマスは、

キリストの御降誕を祝する日なのですが、

霊的生活の非常に意味深い真理を象徴しています。

イエス・キリストは神聖な意識の生きた象徴です。

彼こそ神の化身です。

無知、迷信、貪欲、憎しみ、偽善が世にはびこる、

まさにその時に、主は生まれました。

支配者たちは傲慢で正義に反していました。

人々は貪欲で、怠け者で、無思慮な状態でした。

純潔は忘れ去られ、道徳は無視されていました。

彼らは神への崇拝よりも、

一心不乱にマモン(富)にひれ伏していました。

理想主義はどこにもありませんでした。

 

 

このような状態の真っただ中に、キリストは誕生し、

人々の人生を変容させるために働きました。

主は人々の人生に、新しく、霊的な生き方を与えたのです。

そうして、この地に変化がおきました。

人々は新しい生き方を始めたのです。

そうして、この世界の新しい時代の夜明けがきました。

 

キリストの到来前には、

暗黒、不純物、物質主義がはびこっていましたが、

その状態は識別(ヴィヴェーカ)が明け染める前の、

そして、霊的な目覚めが起こる前の、

探求者個人の内面の状態を示しています。

その時まで、探求者は神について考えることも、

崇高な霊的生活についても考えることはありませんでした。

この世の物質的事柄を追求することに没頭していました。

彼は感覚の奴隷でした。

人生に霊的な理想はありませんでした。

欲望に駆り立てられていました。

傲慢、貪欲、好色が彼の性格を特徴づけるものでした。

彼の人生は欲望、怒り、貪欲、愛着に欺かれ、

自惚れと嫉妬により織り成されています。

 

 

このような状態を終わらせるべきと言うならば、

探求者が霊的な大志、純潔と信心という、

新しい生命に足を踏み入れるべきであると言うならば、

キリストの霊が彼のハートの内に誕生しなければなりません。

その人のハートの中で、神聖な要素(エレメント)、

それ自身が顕れ始める時、それこそが真のクリスマスです。

それから、以前は闇だったところに光が輝き始めます。

無知は知恵の始まりに取って代わります。

不純は純潔に置き換えられます。

憎しみは終わり、かわりに愛が咲き始めるのです。

人の最も内奥の中心核とは、神という本質なのです。

しかし人間の人格を媒介すると、

常に2つの勢力が活動し続けます。

それらは、善の力と悪の力、光と闇です。

神聖なるものと非神聖(悪魔的)なものは、

人間の意識の中で互いに作用しあっています。

全てにおいてそれ自身が輝く光と、栄光の中で、

非神聖(悪魔的)な要素を完全に克服して消滅させ、

最高に神聖な意識を完全に現わすためには、

細部に至るまで最大限に忠実に、

キリストの人生に倣うことを成し遂げることです。

 

 

そうしてこそ、霊的な人生と言えます。

これこそヨーガです。これこそサダナ(霊性修行)です。

これこそが自己実現の小径なのです。

不死と最高の至福と永久の平和に

導いてくれるのが、この小径なのです。

 

もしキリストに倣って生きるのであれば、

何よりもまず

私たちのハートに子であるキリストが誕生すべきです。

そのようにして初めて、

志願者の真の霊的な生活が始まるのです。

善良で美徳の道で進歩しようと、高貴な理想を尊重し、

悪質で否定的な傾向を根絶する、聖なる衝動の最初の現れこそ、

幼きイエスが、私たちの意識の中で誕生したことを意味します。

このようにして、崇高な純潔、神への信仰、憐れみ、

思いやり、愛、無私、無欲、エゴの放棄、赦し、

信仰深さなどの、すべての細部において、

キリストに倣う人生が始まるのです。

 

 

今後は、ひたむきにヨーガを行い、自己抑制と清貧、

完全な平安と平和、寛容さ、

喜びと苦痛にあっても心の平静を保つこと、

怯むことのない勇気と決意、そして人類への献身を通して、

神への礼拝に完全に専念する生活を始めるのです。

これこそ、イエス・キリストと結ばれるという、

祝宴の霊的な意味なのです。

これはまた、復活祭のメッセージでもあります。

(祝宴: イエスの天国についての譬え話

マタイの福音書22章1-14を参照  訳注)

 

 

真に熱心な探求者の心の中で、キリストの霊が再臨することで、

すべての世俗的な欲望は終わりを告げます。

そして神聖な熱望に置き換わるでしょう。

霊性が物質主義を克服するでしょう。

感覚の奴隷であることから自由になれます。

愛と自制、謙虚さと無執着と無私という、

新しく、純粋なる神聖な生活を始めることでしょう。

キリストの人生のように、あなたは崇高なものとなります。

完全な信仰を生き、神の命の中に生き始めます。

神のことを常に考え、話し、神のために生きるようになります。

人々のために働くことが、本当の喜びになるでしょう。

あなたは生ける神の知恵となります。

あなたの生命活動の全てが、神へと向かって流れてゆきます。

 

 

ここに、とても小さいけれども、

心すべきとても意義深く、美しいポイントがあります。

それは、とても重要な霊的な法則についてです。

聖なる降誕祭の主の誕生の方法と時についてです。

イエス・キリストは大宮殿には生まれませんでした。

主は富に溢れ、学がある両親のもとには生まれませんでした。

主は学識に富み、陽が当たる環境にも生まれませんでした。

エスは純朴で低い階層の馬小屋に生まれたのです。

申し訳のない性格と聖性以外は、何も誇るものがない、

謙虚で貧しい両親のもとに生まれたのです。

また、主は真夜中に、

人目につかない暗闇の中でお生まれになりました。

祝福された少数の魂を除いて、誰も知り得ませんでした。

 

 

第一に、さらに重要な意義を述べますが、

完全に謙虚で従順で心の貧しい者である探求者に、

霊的な目覚めというものは訪れるということです。

まことの謙虚さという資質は、

欠くことのできない霊性の基礎なのです。

第二に、この世の富にまつわるすべての欲望と、

学識を誇るうぬぼれの放棄により、

私たちは純真、神聖さを取り戻します。

第三に、人目につかない暗闇で、世に知られていない中、

キリストの誕生があったように、

完全な自我の消滅と自我の放棄が行われた時、

魂の本質において、キリストの霊も出現します。

富や名声、権力などを増大させる衝動、

虚栄が蔓延するところでは、

神はご自身を明らかにすることはできません。

これらの利己主義の表現は、

あらゆる種類の霊的成長への永久的な障害だからです。

「汝自身を空にしなさい、そうすれば私は汝を満たそう」とは、

主イエスの聖なる訓戒です。

 

 

天の王国は確かに謙虚な心を持つ人のためにあります。

このように、本当の謙虚さと自我の消滅は、

美しい前兆、夜明けであり、

霊的な人生の新しい時代の到来を告げる、

いわば先駆者と言えます。

これらの兆候があなたの中に現れた時、

聖降誕祭が訪れるのです、

この時、人は新たに誕生するのです。

 

この誕生が、人を神聖な生命にいざないます。

善人であるニコデモに、遥か昔イエスが優しく説明したのが、

この誕生という秘密だったのです。

「神の王国を手に入れるためには、

人は再び生まれなければならない」

と教えたイエスの言葉の意味を、

この良き人は、正確に理解することが出来ませんでした。

「どうしてそんなことがあり得ましょうか?」

そのように、ニコデモスは尋ねました。

そうすると、キリストは、

この誕生は肉体のものではなく、

霊の内なる変容であると説明しました。

 

 

もし崇高なる者に到達したいならば、

もし本当の至福を体験したいのならば、

そのような霊的な誕生は不可欠なのです。

内なるクリスマスが来て、初めて喜びを知ることでしょう。

 

ああ、この時代の人々よ!

クリスマスに秘められた深遠なメッセージに耳を傾けなさい!

神なるキリストとの私的で真の密接な交わりが、

あなたのハートで始まりますように!

権力への渇望と富による傲慢が人の性質を侵している限りは、

キリスト霊の平和、幸運とまことの幸福は、

あなたの人生に訪れないことを、完全に理解してください。

 

イギリス、アメリカなど、あらゆる大陸、世界中の、

キリスト教を奉じる国々でクリスマスは祝われますが、

「人は再び生まれなければ、天国に入ることはできません」

この精神が生まれなければなりません。

そうでなければ、素朴で、小さな子供のような、

純粋なハートは頑な心には訪れません。

現代人の罪深い心根は、平和、繁栄、

普遍的な幸福と調和から、遥かに遠くかけ離れたものです。

 

 

個々において、そして国家も同様に言えることですが、

まことの信仰という基礎と、

まことの慈愛、心からのへり下り、そして霊的な誕生だけが、

この地上に真の至福と兄弟愛をもたらすのです。

すべての国民が、現代という世界の在り方、

憎しみ、貪欲という生き方を断念し、

そのような変容を遂げてこそ、普遍的なクリスマスの意味、

まことの祝福を享受することでしょう。

その時こそ、この絶望という世界に、

恵みあふれるキリストが到来するのです。

その時までは、今あるクリスマスは、

真の栄光ある主の到来の、稚拙な模倣でしかありません。

ああ世界の人々よ、今こそ新たに生まれ、生き方を改めなさい!

主の到来という、至福と輝きが地上に行き渡りますように!

 

 

探求者たちよ、このことを心に留め置きなさい!

神聖さが姿を表すときに、諸手を挙げて歓迎するのです。

あまりにもこの世のことに心をとらわれて、

主のことを忘れてはいけません。

主が降誕するという祝福された日には、

多くの人がベツレヘムの地に溢れ、

宿屋も家も旅人が押し寄せており、お金の計算に夢中で、

主の家族を受け入れる所がどこにもありませんでした。

ローマ皇帝アウグストの勅令である人口調査 訳注)

この人口調査と徴税は、

この世のにおける人間関係と、愛着、

そして金銭に夢中になることで、

人の霊魂が囚われて奴隷になっていることを意味しています。

霊的な志願者は、

この2つの重大な間違いに気をつけるべきです。

この世の富を追い求め、愛着に心奪われることから、

内なるものへ立ち返りなさい。

あなたの内に在る、神聖な霊の現れを、

今こそ完全に受け入れるのです。

 

 

愛すべき探求者よ、

今こそ、あなたの内なる本質のなかで、

まことの降誕祭、クリスマスへと導かれて、

欲望の無い者になりなさい。

エゴイズムを克服しなさい。

真の謙虚さそのものになるのです。

謙遜さをもって主に身を捧げることにより、

柔和でへりくだる者になりなさい。

道を妨げるすべてのものを、克服する勇気を持ちなさい。

喜びをもって富を放棄しなさい。

恵みあふれる光が内奥へ天下るのを受け入れなさい。

内なる神の降誕を祝うのです。

そのようにして、クリスマスを褒め讃えることが、

ついには霊の変容、復活、昇天という、

栄光ある頂点へと、あなたを導くのです。

神性で誉れある王冠を受けなさい。

不死を達成し、完全な自由を得て、

かってない無限の至福に浸るのです。

キリストの降誕を実現することで、

キリスト意識とアートマンの知恵の輝きを実現しなさい。

アーメン

楽しいヨーガライフの提案をしていきます